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八万四千塔最初の塔

現在、大興善寺契園(ちぎりえん)のシンボルとして親しまれております「八万四千塔最初の塔」。

江戸時代後期の高僧「豪潮律師」によって、1802年(享和2年)に発願・建立された宝篋印塔です。

豪潮律師は、肥後国玉名(現在の熊本県玉名市)出身。比叡山で修行を重ねられ、公卿から庶民にいたるまで、広くその徳を施した高僧です。
 光格天皇の勅命を受けて京洛の地で法験を示し、細川候の帰依を受けて郷里熊本の地に法力を施し、尾張名古屋でも人々の苦悩を除く活動をおこないました。抜群の法力で知られ、また、書家としても評価が高い僧です。

江戸時代、天明の大飢饉(1780年代)を過ぎてもなお、飢饉・百姓一揆が絶えない状況が日本各地に相次いでおりました。その鎮魂と諸国安寧の誓願として八万四千の宝篋印塔の建立の偉業を果たしてまいります。

宝篋印塔とは、「宝篋印陀羅尼経」に説くもので、安置すれば、塔はすなわち七宝所成となり、その功徳は、極楽往生、百病萬悩が一時に消滅するといわれています。
 豪澄律師が生涯に渉る事業として行った宝篋印塔の建立は、大興善寺に始まります。
 八万四千の宝篋印塔の建立を発願して、1802年この地に最初の宝篋印塔が建立されたことから、 その始まりが大興善寺ということから「八万四千最初の塔」と呼ばれています。

 豪澄律師54歳の時に発願した宝篋印塔の建立は、豪澄律師70歳のとき、全国各地に 大小併せて二千余りにもなったそうです。

それから130年あまり経た1923年(大正12年)。「つつじ園」(現在の契園)創設者の96世玄祐住職は、この塔から花園づくりを始めてまいりました。

八万四千塔最初の塔には、以下の銘文が記してあります。
 「天下泰平 国家安全 風雨順時 日月清明
  五穀成就 一切衆生 皆帰正法 二世安楽」 

また、基山町の重要文化財でもあります。

関連画像

大興善寺イメージアーカイブ」にて、大興善寺フォトコンテスト入賞作品の中から「八万四千塔最初の塔」が映った風景をご覧いただけます。
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