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寺の始まり
奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。 -
焼失から大興善寺へ
平安時代初期の大興善寺は「無量寿院」を称する仏教寺院であったとされています。 その寺院が平安時代承和2年に火災に巻き込まれることになり、焼失に至りました。 -
中世を経て焼失・再興へ
中世は日本の仏教寺院繁栄の時代でした。大興善寺は、戦国時代天文の戦災により中世まで築いた歴史資産の多くを失います。 -
天領・対馬藩の仏教寺院
当時の大興善寺一帯は、対馬府中藩家老・柳川調興が治めており、後に徳川幕府を巻き込む一大事「柳川一件」の影響から、数奇な運命を辿ることになります。 -
廃仏毀釈からの再興
明治時代初頭。日本の仏教寺院にとりましては経験したことのない受難の時期を迎えます。 当時の「廃仏毀釈」「神仏分離令」により寺院を取り巻く環境が大きく変わりました。 -
花寺への布石
花のご縁が大興善寺に新たな展開をもたらしました。時代が大戦へと向かう中、寺にも影響が及びます。 -
花寺「つつじ寺」へ
戦後の荒廃期を経て、大興善寺は名実ともに「つつじ寺」へと変貌を遂げます。